2009年11月 6日 (金)

結婚のカタチ~『妻が結婚した』

妻が結婚した 2008年・韓国
 監督:チョン・ユンス
 出演:キム・ジュヒョク、ソン・イェジン、チュ・サンウク

 妻が結婚する?どういうことなんだろうと思って見始めると、全くそのまま、妻が「結婚したい」と言い始めるので、その文字どおりのできごとに、正直唖然とする。

 とにかく、この“妻”であるイナが、自由奔放、恋愛中から夫となるドックンの度肝を抜くようなことばかり。かわいくて、お酒が大好きで、仕事もできてちょっとエッチ。ドックンならずとも、男性が彼女にメロメロになるのもよく分かる。
 イナを見ていると、まるで息でもするように恋をしているようで、ドックンと付き合っていても他の人を好きになるし、二人でお酒も飲めば、ベッドも共にする。そんな彼女にふりまわされっぱなしのドックンが、おかしいけれど、だんだん気の毒にすらなってくるほどに、彼女は自由。ましてや、彼女に悪気がなく、悪びれてもいないだけに、ドックンの空回りが虚しく見えてしまうのだ。このあたりは、ドックンを演じるキム・ジュヒョクが実にうまく、身悶えするような彼のジレンマに、まるで自分がドックン自身になってしまったような気になって、胸が苦しくて、涙すら出そうになってしまう。思わず、自分をドックンに重ねてしまう。

 それでも彼が、イナを大好きで、たまらなく愛おしく思っていて、なんとか彼女の行動に折り合いをつけると、またイナはさらに高いハードルを持ってくる。また、ドックンは死にものぐるいでそれを越えていく、その繰り返しをしているうちに、だんだんとドックンにも、イナにも感情移入してしまう。

 「前は結婚なんて考えてもいなかった。でも、あなたと結婚して、とても幸せだと分かった。だから、好きな人ともちゃんと結婚したい。」
 イナが、ドックンに別の男性と結婚したいといったときの言葉。
 付き合うのでも、浮気でもなく、結婚にこだわるイナの思考にはなかなか追いつけないけれど、それでも彼女が本気で恋愛をして、真剣に相手と向き合っていることが分かるこの台詞は、ひどく感動的だった。

 理性や理屈でははかりきれない妻の奔放さに、夫はどう彼女とつきあっていくのか。凡庸な倫理とか道徳観が通じない相手を前にして、揺らぐ価値観に不安を隠せないドックン。一方のイナもドックンに出会って価値観を揺さぶられ、新しい生き方を模索しているんだとお話すが進むにつれ分かってくると、いびつな彼らの関係も、調和のとれたものにすら思えてくる。
 そして、イナに振り回されっぱなしで情けないことこの上なかったドックンが、だんだん堂々として見えてくる不思議な気持ちのよさが残る。

 男性が二人の女性と同時につきあおうとする話はありふれているのに、女性が別々の男性と結婚したいというと、どうしてこんなに刺激的な話になるんだろう?

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 久しぶりの映画館は、やっぱりよかったです~。しかも、キム・ジュヒョク初スクリーン鑑賞。映画やドラマ以外のキム・ジュヒョクは、なかなかのお洒落さんですが、この作品のドックンは、会社員スーツがいちばんかっこよく見えてしまうというダサダサぶり。そのギャップもおもしろかったな♪

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2009年8月 3日 (月)

きみといっしょに~『北京ヴァイオリン』

北京ヴァイオリン(和イ尓在一起) 2002年・中国
 監督:陳凱歌(チェン・カイコー)
 出演:劉佩琦(リュウ・ペイチー)、唐韵(タン・ユン)、陳紅(チェン・ホン)
     王志文(ワン・チーウェン)、陳凱歌(チェン・カイコー)

 中国南方の代表的な風景とも言える、美しき水郷の街を、ヴァイオリンを持った少年が駆け抜けてゆく場面から、物語が始まります。
 陣痛真っ最中の女性のためにと請われて、鳴り響くヴァイオリンの高らかな音色。そして、そこに重なる産声。
 クラシック音楽とは無縁のような光景に、当たり前のようにからまっているヴァイオリンと少年と、彼の父。水郷の景色とあいまって、時間や場所をとびこえたような錯覚とともに始まるオープニングが秀逸でした。

北京ヴァイオリン

 息子の音楽家としての成功を夢見る父・劉成(リュウ・チェン)は、小春とともに北京に向かいます。音楽コンクールを経て、師について勉強を始める親子と、周囲の人びととのふれあいが、素直に描かれてゆく物語。

 しかし、そこに描かれるのは定番とも言える、普遍的な物語。突飛すぎるできごともないし、想像を大きく越えるような出会いがあるわけでもない。それでも、大人たちが一人の少年の成長を見守るさまは、温かくて、変わらないからこそほっとさせられます。劉成が父親として注ぐ愛情も、莉莉という小春が憧れる女性が示す奔放な親しみも、北京で最初についた恩師が見せる音楽への愛も、どれもが思春期の少年にとっては少しうっとうしく思えても不思議ではないけれど、その使い古された感じに安心感を覚えます。
 近代化著しい中国の風景とは無縁の、老北京といった古い街並みの中に、当たり前のようになじんでいる彼らの暮らしは、どれだけ時代が進んでも変わらないものがあると言っているようにもみえます。

 大人が、子どもたちになにをしてやれるのか、どんな姿を見せてやれるのか。いつの時代にも次の世代に引き継ぐべきなにかがあるんだと思えてきます。

 一方で、近代化や成功を象徴するような、余教授の自宅。おしゃれで、機能的な彼の家は美しくはあるけれど、なにか物足りない。
 実際には余教授の側のほうが快適だと知っていながら、それでも古くさい劉成たちのような暮らしが続いて欲しいと思うのは幻想であり、わがままかもしれません。

 だからこそ、ラストの小春の選択が胸にぐっと迫ってきます。

 劉成を演じる劉佩琦がすばらしいのは言うまでもありませんが、小春の最初の恩師・江(ジャン)先生を演じた王志文がいい!指導らしい指導もしないけれど、楽譜を見せ、音楽に対する愛情を語るうらぶれた教師姿に愛嬌があって、印象的でした。

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2009年6月17日 (水)

杜琪峯的風格~『エグザイル/絆』

エグザイル/絆(原題:放、逐) 2008年・香港
 監督:杜琪峯(ジョニー・トー)
 出演:黄秋生(アンソニー・ウォン)、呉鎮宇(ン・ジャンユー)、林雪(ラム・シュ)
     張耀揚(ロイ・チョン)、張家輝(ニック・チョン)、何超儀(ジョシー・ホー)

エグザイル/絆 スタンダード・エディション [DVD]

 ボスを襲い追われるウー(阿和)は、妻と生まれたばかりの子どもと過ごすためにマカオに戻ってきた。彼の始末を命じられたブレイズ(火)とファット(阿肥)、ウーを守ろうとするタイ(泰)と、キャット(猫)が、ウーの元に集まる。
 かつて幼なじみであった5人の再会がもたらすものは……。

 台詞を極端に省いて、感情の表出をぐっと抑えこんでいるのに、物語は驚くほどすんなりと入ってくる展開。一人一人の立ち位置まで計算された、画面構成。杜琪峯(ジョニー・トー)監督が、自身のスタイルを究めに極めた作品といっても過言ではないくらいに、作りこまれている作品。

 香港映画でありながら、世界のどこで作られたと言われてもうなずいてしまいそうな広がりがあることに、まずひと唸り。

 中華圏映画につきものの、漢字もほとんど登場しない。
 マカオが舞台だからか、どこかヨーロッパを思わせる路地裏と街の景色。
そしてなにより驚いたのが、荒野とでもいうような風景が現れ、画面を一瞬のうちにロードムービー風に切り替えてしまったこと。オーストラリアの荒野や、アイルランドの荒れ地、アメリカ西部の岩地のように見せてしまう。しかし、その先にあるものは巨大な観音像。また、一瞬のうちにマカオという中華圏に引き戻される。この時間や場所をも一瞬のうちに飛び越えてしまうような、不思議な感覚にとらわれる。

 そして、杜琪峯作品の常連の面々が、いつもながらに男くさく、かっこいいのはいうまでもない。裏社会の住人であるはずの彼らに、悲壮感や義侠心は似合わない。どこか、スタイリッシュで軽妙ですらある。
 そして登場する女性二人のうちの一人、ウーの妻。男くさい連中の中で、彼女は銃をかまえて男どもと渡り合い、生まれたばかりの我が子を抱いたまま敵陣に乗り込む、気の強さと度胸を備えている。その強さは、組織の掟や、義侠心なんかではなく、夫を思い、子を思う私情からわき出たものだけに、彼女の存在は向こう側にいる男たちと、こちら側の観客たる自分をつなぐ現実的なものに思える。それだけに、無性に彼女が印象に残る。

 中国語で様式やスタイルを現す言葉は“風格”。
 さまざまな流れ方をする時間と、香港から飛び出して無国籍に見え始める空間の中で、まさに杜琪峯の“風格”に酔い、浸る作品。

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2008年12月 1日 (月)

一秒たりとも見逃すな!~『DON 過去を消された男』

DON 過去を消された男 2006年・インド
 監督:ファルハーン・アクタル
 出演:シャー・ルク・カーン、プリヤンカー・チョープラー
     アルジュン・ラームパール、カリーナー・カプール

DON ドン -過去を消された男- [DVD]

 映画としておもしろい要素をすべてつめこんで、インド映画定番の歌と踊りもちゃんとあって、それでいてクールでかっこいい。大らかで、なんでもありの娯楽映画の顔をしながら、実は見終わってみると、いたるところに伏線がちりばめられた計算された作品だったことが分かります。
 ちょっとした台詞があとあとの鍵になっていたり、つっこみどころだと思っていた部分にもちゃんと意味があったり、最後まであますところなく楽しめて、唸ります。これぞ映画の王道!

 始まりはパリのカフェ。ここからして、イメージしていたマサラムービーとあまりに違い、思わず違う作品を見ているんじゃないかとDVDのパッケージを見直してしまいます。
 登場するのは、シャー・ルク・カーン演じるインド系マレーシア人のドン。「10人の刑事に追われるが、誰も捕まえることはできるない」というカリスマ的マフィア。その言葉どおり、頭脳明晰、腕もたって、女性にも人気。裏切りには容赦なし、味方であっても油断のできない切れ者ぶり。
 その彼を追うのが、インド警察のデシルバ警視。インドでの麻薬取引について情報を得たデシルバは、とうとうドンを追いつめるものの、大けがを負ったドンはそのまま亡くなってしまう。
 しかし、デシルバは組織の全貌をさぐるため、ドンの死を隠し、事故で記憶を失ったと偽り、ドンになりすましたインド人青年ビジャイをマレーシアに帰国させるのだった。

 ここまででも、スリリングでテンポのいいお話運びにぐいぐい引き込まれますが、さらにお話は展開を続け、ハラハラ、ドキドキが続いていきます。

 物語がおもしろいのももちろんですが、特筆すべきは主役のドンを演じるシャー・ルク・カーン。
 彼を初めて見たのは、『ラジュー出世する』というずいぶん前の作品ですが、そのときは気の良いお兄ちゃん然として、かっこいいというよりも、いい人そうというくらいにしか思いませんでした。

 そんな第一印象が夢だったのかと思うほど、この作品でのシャー・ルク・カーンは、かっこよくて、渋くて、悪くて、スターのオーラがぎんぎんに出ているのです。
 非情だし、冷酷だし、つきあっていくのに緊張を強いられるような悪さがみなぎっているのに、かっこいいとしか言い表しようがない完璧ぶりを、けれんみたっぷりに演じられるのは、並大抵のことじゃないと思えてきます。悪かろうが、冷たかろうが、それがドンならそれでいい、なんて気づいたら思っているのも、シャールク・カーンのオーラにやられたせいかもしれません。

 でもそれだけでは終わりません。
 彼が演じるもう一人。ビジャイが登場すると、ますますシャー・ルク・カーンのすごさを思い知ることになります。
 マフィアの大物ぶりとはうってかわった、インドの貧しき芸人で、全身から人の良さがにじみ出ているような小市民ぶり。これが本当に、さっきのドンと同じ役者さんなんだろうか。よく似た役者さんで、まったく別人と言われればそのほうが納得できそうなくらいの豹変ぶり。

 お話にうなり、シャー・ルク・カーンのスターっぷりに圧倒され、女性陣の美しさに目を奪われ、3時間近くの長丁場もあっという間でした。
 あぁ、これはぜひ映画館で見たかった。

 とにかく、見るべし!
 ひとたび見始めたなら、一秒たりとも見逃すな!
 以上!

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2008年9月28日 (日)

遺伝子組み替えます~『基因決定我愛イ尓』

DNAがアイラブ・ユー(原題:基因決定我愛イ尓) 2007年・台湾
 監督:李芸嬋(ロビン・リー)
 出演:彭于晏(エディ・ポン)、余男(ユー・ナン)
     關穎(テリー・クァン)、何潤東(ピーター・ホー)

 新薬開発会社で働く、瑪菱(まーにん)と四季(すーちー)。
 瑪菱は肥満遺伝子のせいで太ることを極端に恐れて自分に自信が持てない。四季は極度な潔癖性のせいで次々とボーイフレンドにふられてしまう。
 そんなふたりは、開発途中の新薬でDNAにはたらきかけ、自分たちの体質や性格を変えようとするが……。

 遺伝子=基因から生まれた、かわいい物語。

 自分に自信が持てないのも、恋愛がうまくいかないのも、原因は遺伝子にある。だったら、それを改造してしまおう!という設定が、奇想天外でキュートです。

 特に四季の潔癖症ぶりが、おかしくも、かわいい。数年ぶりに再会した男性と、いざ彼の部屋でいいムードになったとき、ふと目に入った絨毯の上のゴミや、テーブルの上をはい回る蟻。それが気になり、思わずトイレに駆け込むと、今度は汚れきった鏡が気になって掃除を始めてしまったり。
 部屋が汚れていたり、お風呂が嫌いだったりする男性に悪態をつきながらも、自分の潔癖をどうにかしなくちゃと焦る姿が、とってもリアルです。
 そして、新薬のおかげで、床に脱いだ服がころがっていても、足の裏にほこりがくっついても平気になって、「薬が効いた~。私は変わったんだ!」って喜ぶ四季を見ているうちに、どんどん彼女を応援したくなってきます。

 そして、なによりインパクトがあるのが、新薬から生まれたアメーバみたいな粘菌。生物学専攻の瑪菱や四季によれば、“きのこの親戚”にすぎないそうですが、これがなかなか。黄色や赤のポップな色で、どんどん増殖してゆくさまは、怖いような、おかしいような。初めは黄色いだけのかたまりが、どんどん部屋中に広がって、そこから芽が出てショッキングピンクの胞子をとばすところは、必見。
 突飛なのに、なぜかこれもお話の中ではあたりまえで、見終わってみるとこれがなくてはならないような気になるから不思議です。

 自分のなにが悪いんだろう、どうしてうまくいかないんだろう。瑪菱も、四季も突きつめて、自分をちゃんと見つめようとします。さらりと描かれながら、奮闘している女性たち目線になれるかわいい作品でした。

 監督は『靴に恋する人魚』の女性監督、李芸嬋。
 前作ほどではありませんが、今回も風景に台湾らしいものはなく、どことも特定できない場所といった雰囲気が、物語によく合っています。台湾映画=台湾の空気を体現するというイメージが強かったのですが、そこから自由になって自分の中にある世界をスクリーンに表現できるという意味で、まさに新しい台湾映画人なのかもしれません。

 ※日本公開されたものでは、瑪菱→メラニー、四季→ジジとなっているようですが、中文DVDでの鑑賞のため、そのまま漢字表記しました。

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2008年9月20日 (土)

熱をおびて~『花蓮の夏』

花蓮の夏(原題:盛夏光年) 2006年・台湾
 監督:陳正道(レスト・チェン)
 出演:張睿家(ブライアン・チャン)、張孝全(ジョセフ・チャン)、楊淇(ケイト・ヤン)

花蓮の夏

 クラスの問題児、ショウヘンの友だちになるよう担任から命じられ、しぶしぶその役目を引き受けたジェンシンだが、年月とともに二人は真の友だちになってゆく。
 高校生となった二人の前に現れたホイジャ。彼女の存在が、二人の関係を少しずつ変えてゆく。
 ショウヘン、ジェンシン、そしてホイジャの3人の不思議なつながりを、のどかな田園が広がる花蓮(ふぁりぇん)と、雑多な都市である台北を舞台に描く、青春劇。

 男の子2人と、女の子1人。ありきたりの三角関係かと思いきや、ちょっとしたひねりがきいている。しかも、それが奇をてらったふうもなく、微妙な現実感でもって迫ってくるので、彼らがなにげなく話しているだけの場面にさえひどくドキドキしてしまう。さわやかで瑞々しい青春があるとしたら、ここに描かれる青春は生々しくてにおいたつようなもの。そのときどきの、体臭までしそうな空気があとをひくほどに。

 彼らの関係は、一見不可解ながら、その危ういバランスで保たれる関係が見ているこちらにも、緊張感を生む。
 若さの持つ眩しさや、きらめきだけでけでなく、そこに若さゆえの未熟さや、拙いところがあるのを分かりすぎるほど分かっているからか、彼らは、艶めいて危うく映る。青春の一時期にしか出せない独特の雰囲気に、むしょうに気恥ずかしくなりながらも、目が離せなくなる。

 どうにも抑えられない昂ぶりを抱え、あがきながらも、自分の本心に忠実でありたいと悩む3人。みんな切なくて、それぞれを好きで大切にしたくて、お互いの気持ちが齟齬を生むことも分かっている。それでもなお、他の二人を失いたくないと心底願い、不格好さもいとわずぶつかってゆくラストにも、ほっとさせられたような気がする。

 若さなんて、時間の流れでしかないし、年を重ねることでしか得られないものもいっぱいある。心底そう思っているのに、やっぱり若いっていいな、なんて思う自分がいるのに気づく。

 監督は、1981年生まれの新鋭。台湾映画界の新しい息吹に、なんだか嬉しい気分がこみあげてきた。

 ジェンシンを演じた張睿家(ブライアン・チャン)、ショウヘン役の張孝全(ジョセフ・チャン)もいい。張孝全が當兵前に出演した『心動列車』ではどちらかというと、少年っぽさを残していたのが、すっかり大人の顔つきになっていた。
 監督ともども、また別の作品で、違う顔を見せてほしい。

 印象に残った場面は、小学生時代。成績の悪い生徒を並ばせて、先生がマジックで額にテストの点数を書くという罰!しかもこれは実話らしく、学歴社会の台湾とはいえ驚いた。その善し悪しは別として、どこかほほえましく見えたのは、やはり自分がとうにそこを通り過ぎた大人だからだろうか?

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2008年9月 3日 (水)

輝け、媽媽!~『My Mother is a Belly Dancer』

My Mother is a Belly Dancer(原題:師[女乃]唔易做) 2006年・香港
 監督:李公樂(リー・コンロッ)
 出演:雪梨(シドニー)、田蕊[女尼](クリスタル・ティン)、
     賈恩美(エイミー・チョム)、董敏莉、湯鎮業(ケン・トン)、
     林家棟(ラム・ガートン)、張穎康、林子聰(ラム・チーチョン)

MY MOTHER IS A BELLY DANCER

 近所の文化教室で開かれたベリーダンスクラスに集まった、同じアパートに住むごく普通の母親たち。なにげなく始めたベリーダンスに次第に楽しみを見いだし、踊ることで、少しずつ彼女たちの毎日が変わってゆく。

 平凡な主婦たちにも悩みがある。世間や社会で起こる問題から比べると小さなことだけれど、みんな思うようにならない日常に悶々としている。

 その彼女たちとベリーダンス。まず、このミスマッチがおかしい。ベリーダンスをしたくて始めたわけではなく、ほとんど事故のような偶然でであったのが、しだいに夢中になっていくさまが、微笑ましくて、楽しい。
 ぎこちない動きで腰を振り、リズムに合わせて体を動かしていくうちに、目の前の現実から少し目をそらすことができて、どんどん彼女たちが元気になっていくと、見ているこちらも元気がわいてくるような気がする。
 踊っている彼女たちから、凝り固まった哀しみや、やるせなさがどんどん空に放たれていくのが見えるような気がした。

 家族という私的で、小さな世界ではあるけれど、だからこそ彼女たちはそれに固執し、家族との関係を大切にしたいという気持ちが、作品のあちらこちらにあふれている。
 その中でとっても愛らしいのが、李一家のおばあちゃん。いつもテレビを見てばかりだけれど、夫にないがしろにされ、息子にばかにされている息子の妻をちゃんと見てくれている。家族や近所の人がたしなめても、味方になっていっしょにベリーダンスを楽しんでくれる。きっと、おばあちゃんも、かつては一家の主婦であり、平凡な母であったからこそ女性たちの気持ちを分かってくれたんだろうと思うと、頼もしく思える。

 映画の終わり、見違えるように生き生きしている女性たちが眩しい。

 母として、女として、人として輝きながら生きていきたい。
 人からは見えなくても、せめて自分の大切な人から見てもらえる光を放ち続けたいと思える、元気が出る一本。 

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2008年8月27日 (水)

中身あってこそ~『カンナさん大成功です!』

カンナさん大成功です! 2006年・韓国
 監督:キム・ヨンファ
 出演:キム・アジュン、チュ・ジンモ、イム・ヒョンシク

カンナさん大成功です! 特別版(2枚組)

 身長169cm、体重95kgのカンナ。抜群の歌唱力と、美しい声。仕事は、歌手。ただし、美人でスタイルのいいアミの舞台裏で、彼女に合わせて歌うだけ、決して表舞台には立てない。そんなカンナが恋をしたのは、彼女の歌声を評価してくれる音楽プロデューサー、サンジュン。しかし、彼の成功のために利用されているだけだと知り深く傷ついたカンナは、全身美容整形を決意する……。

 美人や美男のほうが得。
 違うと言いたいけれど、たぶん本当だと思う。というより、すべてが損得ではないけれど、そういう側面が確かにある。
 だから、カンナが持つコンプレックスや、外見の見栄えの悪さをからかわれてしまう場面を見て思わずいっしょに泣いてしまう。

 その反面、外見にこだわって中身を軽んじることへの後ろめたさもあるから、整形には拒否感も覚える。

 でも実際、美人になって、着たい服を着て、街中のウィンドーに映る自分の姿に見とれて、美人だと初めて他人から言ってもらったときの、あのカンナの顔!あんまりにも嬉しそうで、幸せそうで、彼女がいいんだったらこれもいいのかなとも思える。
 「誰がこんなオンボロの車を買うんだろう?」なんて言ってたのに、中古車販売店の店員におせじではなく「きれい」って言われて、その車を衝動買いしちゃうところなんて大笑い。

 せっかく美人になったのに、それを自慢するわけでもなく、かつての自分と同じように外見がいまひとつだったり、ダメだったりする人を放っておけないところが、またいじらしくて、かわいかった。
 外側は、カンナのようにお金をかけてフルチェンジできるかもしれない。けれど、中身は少しずつ自分で育ててゆくしかない。カンナがすてきになれたのは、器に入れるべき彼女自身があったからこそだとそう信じたい。
 でも、私としては太ってたときのカンナも、かわいいと思ったんだけど。あの歌声と、かわいい話し方で、意外に歌手としても成功したんじゃないかな?

 整形をきっかけにいろんなことを考えてしまうけれど、見ているときには、笑って、泣いて、また笑って。あっという間にエンドマークがくるほど、おもしろかった!

 お金も、勇気もないから、さすがに整形しようとは思わないけれど、魔法みたいに1回だけっていうのなら、やっぱり一度は美人や美男になって、その気分を味わってみたい気もする。

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2008年6月25日 (水)

覚え書き

 これから日本公開が控えているもの(一部、すでに公開済のものもあり)、公開未定のものの中から気になる作品のメモです。

『後悔なんてしない』(韓国)
 監督:イ=ソン・ヒイル
 出演:イ・ハン、イ・ヨンフン、キム・ドンウク
 男性同士の愛を描いた韓国映画。同性の関係を描いた中国(香港?)の『藍宇』、台湾の『十七歳的天空』に匹敵するか?

『光州5・18』(韓国)
 監督:キム・ジフン
 出演:アン・ソンギ、キム・サンギョン、イ・ヨウォン、イ・ジュンギ
 ドラマ『砂時計』でも描かれていた光州事件。劇中、主人公のテスとウソクもそれぞれ違う立場で遭遇した光州事件はひどく衝撃的でした。辛いだろうけれど、きちんと知っておきたい。

『1978年、冬。』(中国)
 監督:李継賢(リー・チーシアン)
 出演:チャン・トンファン、リー・チエ、シェン・チアニー
 こちらは、文化大革命が終わった後の中国が舞台。偶然にも、上の光州事件とほぼ同時代。そのころの日本のことを思うと、ずいぶんと安穏としていたような気がするだけに、よけい胸が痛む。だからこそ、せめて映画の中でではいろいろな一面を見たい。

『態度』(台湾)
 監督:Circus、林家緯、廖人帥
 出演:※ドキュメンタリー
 台湾の検索サイトで見かけた一本。台湾にある実業団バスケチームを中心に追ったドキュメンタリーらしい。日本で見る機会はよほどのことがない限り難しいだろうけれど、ちょっと興味あり。

『妻の愛人に会う』(韓国)
 監督:キム・テシク
 出演:パク・クァンジョン、チョン・ボソク、チョ・ウンジ
 パク・クァンジョン→『白い巨塔』の整形外科長パク医師、チョン・ボソク→『商道(サンド)』のチョン・チス、チョ・ウンジ→『花よりも美しく』のジェイン
 ちょうど見ているドラマに出ている人ばかりなので…というわけじゃないけれど、パク・クァンジョン、チョ・ウンジが好きなので。

『ビースティーボーイズ』(韓国)
 監督:ユン・ジョンビン
 出演:ユン・ゲサン、ハ・ジョンウ、ユン・ジンソ
 ハ・ジョンウがホストに扮するというので興味が。ハ・ジョンウ、美形ではないけれど気になるいい顔の俳優さん。

『ブレス』(韓国)
 監督:キム・ギドク
 出演:張震(チャン・チェン)、チア、ハ・ジョンウ、カン・イニョン
 キム・ギドク作品と、張震がどんな調和を見せるのか?張震、台、中、港、日のみならずついに韓国作品にも進出。すごいことです!

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2008年6月21日 (土)

ゆるゆると流れる時間~『長江哀歌』

長江哀歌(原題:三峡好人) 2006年・中国
 監督:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)
 出演:趙濤(チャオ・タオ)、韓三明(ハン・サンミン)、王宏偉(ワン・ホンウェイ)

 三峡ダムに沈みゆく、奉節の町。 長江哀歌 (ちょうこうエレジー)
 山西省から、16年前に別れた妻子を捜しにやってきた炭坑夫。そして、もう一人、同じ山西省から2年も戻らない夫を捜しにきた女性。
 旅人として奉節の町にやって来た男と女。彼らが目にする奉節の町の風景と、そこに生きる人びとの日常が淡々と描かれる物語。

 水墨画をそのまま切り取ったような風景の中、三峡クルーズの船上では李白の詩が詠み上げられる。
 炭坑夫の男がここで出会う青年。彼が夢中になっているのは、周潤發(チョウ・ユンファ)の『男たちの挽歌』。映画の發哥を真似た仕草でたばこに火をつけ、朗々と歌い上げるような『上海灘』の主題歌が流れる。
 21世紀の大プロジェクトである三峡ダム建設現場にあって、まるでこの町は詩人の生きた唐の時代からさほど変わっていないようでもあり、『男たちの挽歌』がつくられた1980年代のまま止まっているかのようにも見える。

 とてつもなく長い歴史の時間が、流れてゆかず、同じ場所にとどまっているような不思議な気分。 

 画面に映し出される奉節の町は、ごみごみと家々が入り組み、移住によって空き家になり解体されゆくビルが目立ち、鮮やかなネオンもなければ、中国特有のあの紅い色すら見えない。長江の水面は鬱々とした暗い色におおわれ、行き交う船にはテレビで見る上海や北京の人たちの近代化された服装とはまったく違う出で立ちの人びと。器に盛られた食事は質素で、旅館の部屋は薄暗い相部屋。湿気とカビとで薄汚れた家の壁、廃墟とみまごうビルの一室。
 たぶんあの風景の中の生活は、自分にはとうてい耐えられないと思う。

 それなのに、それらに愛おしさを覚え、見ているそばから美しいと感じてしまうのはなぜなんだろう?ぬけるような青空や、きらめくばかりの緑、色とりどりの光があふれる夜景、ロマン漂う古の建造物があるわけじゃない。美しさとはまったく反対のものを視覚はとらえているのに、気持ちは美しいと答えてしまうような不思議な感覚がうずまき続け、見終わってからも次々に長江べりの町の風景が目に浮かんでくる。

 中国を舞台にした作品を見るとき、いつも感じるのは大地の広大さと、なにか底知れぬ力のようなもの。香港のぎらぎらとしたエネルギーや、台湾のどこかのどかさを感じさせる温かさとも違う、中国独特の空気。
 歴史によりそうように、訥々と生きてゆく人びとの姿と、山河の大きさがしみてくる一作。

~余談~
 初めて賈樟柯の作品を見たとき、なぜか北野武の作品を思い浮かべた。賈樟柯作品の配給元の一つにオフィス北野の名前があるのを見たとき、なんだか納得がいった。どちらの作品にも、音のない静かな緊張感のようなものがあるからかもしれない。

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